聖なる岩の下で
私のベアーズイヤーズの第一印象は、泥んこの5歳児の頃のものだ。家族と共に星の下で眠り、シングルバーナーで調理し、埃まみれの崖を登った。風があらゆるものに土埃を吹き付け、肌や髪を赤っぽく染めた。大地がそこかしこに生きていて、身近に感じられた。
ティーンエイジの頃は砂漠に焦がれ、クライミングのために毎年ベアーズイヤーズを訪れていた。そこは友人を連れて行き、妻と恋に落ち、将来の赤ん坊の誕生を夢見た場所だ。当時は、ハイシーズンの1週間でさえ、視界には1人か2人のクライマーしかいなかった。そこにいることは、まさしく日常生活のストレスや気負いからの逃避だった。そして、この土地は我々クライマーのものだと自負していた。
こうしてベアーズイヤーズを訪れる中で、私のクライミングへの愛は次第に成熟していった。このスポーツの身体性だけでなく、その静けさ、美しさ、外的刺激のなさを切望するようになり、そこでは興奮と平和が共存していた。その世界では、気を散らすものが消え、内なる自分や周囲の人々がこれまでになく身近に感じられた。
やがて、群衆がやって来た。それに伴い岩の浸食が目立つようになった。最人気ルートでは、数千回の登攀によって砂漠ワニスの縞模様が摩滅した。チョークや視覚的にインパクトのあるアンカーが普通に見られるようになり、アプローチ道はすり減り、埃っぽかったクラックの内部はきれいに磨かれた。
友人と私は、脆い岩を保護するために常に努力していた。チョークの使用を避け、乾眠生物のいる土壌を踏まないようにし、懸垂下降の時だけ固定アンカーを使用した。だから、自分達の影響は最小限であると考えていた。しかし、ベアーズイヤーズが人気のクライミングスポットになった今、自分達が残そうとしたレガシーを疑問視するようになった。
私がついにこの疑念に直面したのは、ある連合に加入した時だった。それは、オバマ政権下でベアーズイヤーズを連邦政府に保護された国定公園にしようと活動する、クライマー、保護団体、部族国家の連合だった。引き続きその連合は、この国定公園を85%縮小しようとする2017年の第一次トランプ政権の企てに抵抗し、さらにバイデン政権下で国定公園の復活を擁護し、成功した。人生のこの10年間を通じて、私は自分が長い間愛してきた土地の本来の保護者と、最初の関係を築いた。そして、その何もない風景、土地の所有者であるクライマー、我々の最小限の影響、岩との親密な関係という、自分自身に語ってきたストーリーが全て誤りであることに気付いた。

2017年、第一次トランプ政権はベアーズイヤーズ国定公園の85%縮小を企てた。バイデン政権がそれを復活させるわずか数カ月前の2021年3月、トミー・コールドウェルはかつて保護されていた土地を登る。ユタ州ブラフ。写真:イライザ・アール
2022年、ベアーズイヤーズにゆかりのある5つの部族の女性グループ(名称「ベアーズイヤーズの女達」)から祈りに招かれた。私達はモキダグウェイと呼ばれる崖の上で会った。その朝、そこは荒れていた。頭上を雲がせわしなく流れ、広大な砂漠の風景に動く影を落としていた。毛布にくるまった9人の女性が、なびく髪に顔を打たれながら、輪になって集まっていた。
その女性達は心を痛めていた。数週間前に、誰かが先祖の岩絵を落書きと間違え、壁画にボルトを打ち込んだという。その前には崖の穴居に強盗が入った。さらに2021年には、モアブに近い、「出産の岩」と呼ばれる文化的に重要な岩が、人種差別的な中傷や「ホワイトパワー」という言葉を刻まれ、冒涜された。これらの忌まわしい行為が誰の仕業かは不明だった。クライマーか、それともハイカー、四輪バギー、ラフティングのような新たなユーザーグループか。しかし、一定の責任を負うべきは、ベアーズイヤーズの主たるユーザーグループである我々クライマーである。
崖の上で、女性達は交代で、母語で祈りを捧げた。言葉は分からなかったが、パワーを感じ、心を動かされた。突然、大地と人が融合したように見えた。この女性達は大地の一部であり、大地は彼女らの中にある。彼女らにとって、木や岩は肉親であり、発見したり、支配したり、破壊したりするものではない。その瞬間、自分がクライマーとして感じていたこの土地との絆は、彼女らのそれとは比べものにならないことに気付いた。
祈りの後、朝食を取りながら、彼女達の話を聞いて午前の残りを過ごした。歴史の授業で昔の話をいくつかは知っていた。この土地からの強制退去や数十年にわたる乱獲や略奪。しかし、他にも私が意識したことのない不当な話を聞くことができた。地元のウラン鉱山がどれほど地下水を汚染し、長老を殺し、ナバホ・ネイション(ナバホ族の準自治領)のコミュニティに水のトラック輸送を強いたか。あるいは、ベアーズイヤーズがかつてどれほど米国有数の人口密集地であったかなど。
今さら言うのも恥ずかしいが、この旅までは、子ども時代に見た人工物が、生きて呼吸している実在の社会の一部であると考えたことがなかった。もちろん、壁画や崖の穴居には感嘆したし、陶器の破片を見つけることも何度かあった。しかし、もはや存在しない古代文明のものと思っていた。ちょうど植民地支配の危害を過去の出来事にしていたように。
自分がどんな話を真実と受け止めてきたのかを疑問視するようになった。かつては自身のクライミングの影響を最小限と思っていた。しかし今や、自分が略奪者よりマシなのかさえ疑問だった。

トミーはベアーズイヤーズ部族間連合(BEITC)共同委員長ダヴィナ・スミス(ディネ)をビレイしながら、応援の言葉をかける。BEITCのスタッフメンバー、ルーベン・パチェコがそれを見守る。インディアンクリーク。写真:ドン・ジェームズ
「おばあちゃんの腕に登れるように、その体に穴を掘りますか?」最近ベアーズイヤーズを訪れた際、ある先住民族の知識保有者に質問された。
ベアーズイヤーズ部族間連合の代表者20人のグループと共に、再び現地を訪れた。ベアーズイヤーズ国定公園化の擁護に成功した部族と連邦政府間の新しい歴史的な共同管理契約に向けて、レクリエーション計画の情報を提供するためだ。メンバーには、選出議員、伝統的知識の保有者、部族管理の専門家が含まれており、私たちは食事を共にし、グループディスカッションを行い、そしてインディアンクリークまでクライミングにも行った。
ベアーズイヤーズ部族間連合の部族は「レクリエーション」に相当する言葉さえ持たない。だから、話がややこしくなりかねない。一方、私にとって、この言葉は何だか軽薄な意味を含んでいる。私の偏った感覚では、「クライミング」の方が、コミュニティ、宗教、場所とのつながり、自己自身など、はるかに多くを意味し得る。クライマーは登攀地への配慮に精一杯努めている。だから、どのような配慮がこの土地を保護する人々にとって有意義であるかを理解するために、彼らとの信頼関係を築きたかった。
部族メンバーとのクライミングは楽しかった。幾人かは過去に登ったことがあり、そうでない人は初めての挑戦にベストを尽くした。その後、彼らはその日の印象を語った。多くの人々はクライミングの楽しさを、このコミュニティの雰囲気や仲間意識を理解したようだった。愛するものを共有しようとする私の意欲を彼らは受け入れてくれた。ただし同時に、このスポーツについての懸念も共有したいと言った。
彼らは、ボルトを疑問視していた。砂漠ワニスの擦り減りに気付き、それを景観の不運な傷痕と見なしていた。また、ある女性は長老達から聞いた話に心を痛めていた。「ロングウォーク」で家族が強制移住させられた暴力的な武力侵略のさなか、安全な場所を求めて岩を登らなければならなかったという。
自分と自分が登る場所との関係は深いと常に思っていたし、私の人生はしばしばこの親密さを拠り所にしている。しかし、ベアーズイヤーズ地域の先住民の子孫と過ごしたことで、道路の建設、鉱山、さらには岩へのクライミングボルト設置さえ、土地と一体化した人々に苦痛をもたらす肉体的な傷のようなものだと教えられた。この土地を自らの文化遺産の拠り所とする人でなければ、このつながりあるいはこの痛みは、決して分からない。
この真実を受け入れるには、一定の謙虚さが必要だった。長年にわたって、私は自分のアイデンティティやこのスポーツへの愛を、岩とのつながりの上に築いてきた。つながりが存在しないとは言わない。ただ、彼らのつながりは違うのだ。インディアンクリークで長老のビレイをしていた時、彼らはレクリエーションに反対なのではなく、この景観とその中にいる人間ではない親族の健康を、深く憂慮しているのだと直感した。
我々砂漠のクライマーはどうか。岩の感触の微妙な違いと調和し、さまざまな岩のタイプを知っている。浮いた岩や砕けやすいホールドを認識できる。さまざまなサイズのクラックに足をどうフィットさせるかを知っているし、指や手をねじ込む時のさまざまな配置を知っている。しかし、その認識は自分の進路内に直接存在するものにかなり限定される。
同行した部族メンバーは、より大きな景観について別の種類の認識を持っているようだ。5つの部族には、それぞれ独自のつながり方や敬意の示し方がある。この最近の旅では、彼らは歩きながら祈り、供物としてボトルの水を撒いていた。ある長老にいたっては、砂漠植物の葉を頬に押し当て、付けたままにしていた。
そんなふうに景観とつながることのない自分を恥ずかしいと思うより、この岩に対して、これほど多くの層が存在していることを知り、喜びを感じる。これほど多くの関係や生活を、これらの風景は既に知っているのだ。だからこそ、自分のクライミングへの愛が、若い頃の自分には想像もできなかったほど、無限で、はるか広大に感じられる。
岩にボルトを設置することの倫理性のように、まだ調整しなければならないことはある。しかし、この土地は生きていて、我々クライマーには何の権利もなく、そこには数千年にわたる教訓があるという現実に心を開いてからは、そもそもこのスポーツと恋に落ちるきっかけとなったあの平和と興奮の融合を、もうちょっと身近に感じるようになった。この微妙に異なるつながりを育むこと、そしてこれらの土地ではビジターであるという謙虚な気持ちを受け入れることは、私をより良い保護者にするだけでなく、より良いクライマーにするだろう。
パタゴニアおよびベアーズイヤーズ部族間連合からのお願い: この個人的な省察は、部族国家の声に耳を傾け、土地の保護者である先住民族から学ぶ重要性を述べています。それぞれの部族国家には、ベアーズイヤーズの景観について、独自の教え、歴史、関係があります。ベアーズイヤーズ部族間連合の5つの部族、すなわちホピ族、ナバホ族、ユインタ&ユーレイ居留地のユートインディアン族、ユート・マウンテン・ユート族、ズーニ族は、固有の文化的知識や保護慣行を活動に取り入れています。また、現在この同盟に参加しているこれらの部族以外にも、多くの部族国家がベアーズイヤーズとの先祖伝来の深い文化的つながりを維持していることが確認されています。この神聖な景観を理解し、保護するには、こうした多様性の尊重、境界への敬意、先住民族の声や主権の重視、有意義で活発な関係を育む勇気が必要です。