シール登高という芸術
シール登高をしているときは、考える時間がたっぷりとあります。シール登高は動的瞑想であり、何時間ものあいだゆっくりと集中しながら単純な運動を繰りかえすことで、解き放たれた意識が自由にさまよいます。
私はこの10年間、シール登高で先頭を引いたり、人の後ろにつづいたりしながら、自分のあとをたどる人に思いを寄せることに、数えきれないほどの時間を費やしてきました。それぞれのトレースは、目印と同じように、それを描いた人の動機や山に対する姿勢が秘められています。つねに自分のルート取りが適切かどうか自信がなくて自問しつづけるような、自分を意識しすぎる人もいれば、正確さや効率を計算して登る人、あるいは効率などお構いなしに頂上への最短ルートを狙う人もいます。そして、ただ登るのではなく、地形とのダンスを楽しむように自己を探求する実存主義的なアプローチを取る人もいます。
さまざまなトレースを見れば見るほど、そこには共通のスタイルやテーマが存在することに気づくようになりました。私は雪に覆われた山をキャンバスに、トレースを付けるライダーたちをアーティストに見立てました。彼らの作品があちらこちらに描かれた風景は、まるで厳寒のアートギャラリーのように思えます。
そんなアーティストたちをご紹介します。

「技術者」
トレースを付ける人のなかで最もよく知られ、最も感謝されるのは、おそらくこのタイプでしょう。物理学を駆使してすべてのキックターンを計算し、より大きな論理に向かって一歩一歩進んでいく。彼らの多くはガイド業に就いていたり、バックカントリーに関する高度な知識をもっていることが多く、地形や天候、雪崩の可能性などを考慮してシール登高します。身体的にも鍛えられ、相当な距離を進みますが、不用意にエネルギーを浪費するようなことは決してありません。つまり効率性を重視し、(少なくとも、次に雪が降るまで残るくらい)長持ちするトレースを残します。
「前もって計画することで、より良いトレースを付けられます」と言うのは、ACMGのスキーガイドであるアダム・ゾック。「いつも、かなり安全な場所にトレースを残すようにしています。僕が滑るその日のためだけでなく、2週間後、3週間後にやって来る経験の浅い人たちがトラブルに遭わないための、より安全で役に立つ選択肢になる、そうした手助けができるトレースになるよう心がけています」
“ 僕がいちばん楽しんでいるのは、メンタルな挑戦。とんでもない地形に出くわして、なんとか楽なルートを見つけることほど好きなことはない”

日の出とともに始めて、日の入りとともに締めくくるティム・ハガティ。 ブリティッシュ・コロンビア州モナシー山脈 Photo: Ryan Creary
「調査隊」
「調査隊」が付けるトレースは生来の好奇心を満たしてくれます―これは独創的なラインなのか、ただ蛇行しているだけなのか。意図的に何かを探しているのか、あてもなくうろうろしているだけなのか。「調査隊」にとってシール登高は、滑降ルートの可能性を調べ、地形を探り、シールを使って登る技術の限界を試すものです。目的に応じてすでにあるトレースに出入りするのもよくあることで、効率のためなら動物が歩いた跡も利用しますが、たくさんの寄り道や回り道は、それを追う人には謎となるかもしれません。
「じつは私、目的地に着きたくないんじゃないかっていうトレースを付けてるのよ、ってよく冗談を言います。だらだらと長く曲がりくねった、のんきなラインを」と言うのは、バックカントリーでの調理を専門とするシェフのセリーヌ・ルシアー。「でも曲芸的なキックターンや機敏に動くのも楽しいから、他のスキーヤーが良かれと思ってターンする場所を削っていたりすると、ちょっとがっかりすることもあるわ」
“ シールで登ってきたトレースの形状を見て、他の人たちの心中での変化を推測するのを楽しんでいます。 まるで探偵になった気分よ”


ユタ州ワサッチ山脈のリトル・コットンウッド・キャニオンは、極上のバックカントリーの地形に事欠かない。しかし、ソルトレイク・シティに近いということは、ノートラックを獲得するための競争が激しいということ。 Photo: Lee Cohen
「とにかくやっちゃえ派」
この「とにかくやっちゃえ派」の威勢のいい人は、興奮とフワフワの雪に駆り立てられます。そのジグザクのトレースは、稲妻のようであり、上に向かって放たれたレーザー光線へと化します。一般的に、この手のトレースを付ける人は、できるだけ早く目的地に着き、時間通りに仕事に戻らなければならない人か、もしくはただ誰よりも先にノートラックの夢のパウダーにありつきたい人たちだったりします。この急傾斜のトレースを追う人は心拍数が上がり、ベースレイヤーが汗まみれになって後悔することになります。
「結局のところ、登るために来るんだ」と言うのは、ブーツフィッターであり大工でもあるブライアン・コールズ。彼の登りのトレースは容赦なく急です。「山にいるのは、そこで独特な経験をし、自分を駆り立て、仲間と楽しむため。一歩前に進むごとに、魂を満たしてくれる」
“「シール登高でトレースを刻むのは、 期待と興奮で目がくらむような感じ。 まるで誰もいないビーチにきれいな 波で乗り上げるような感覚だ”

地形に耳を傾けると、効率よく登るトレースを付けられるだけでない。大地に跡を残すのではなく、それを引き立てることにもなる。この写真は、スプリットボードで登りながら地形の起伏に思いをめぐらせるフォレスト・シアラーの姿。カリフォルニア州レイク・タホ近郊 Photo: Cole Barash
「 スピリチュアル・ ウォーカー」
この禅的なトレースを付ける人は、ルート取りを直観的な旅路としてとらえます。それは地形の起伏に沿って舞い、板を滑らせること。彼らは山の声に耳を傾け、自然に身をゆだね、母なる大地と自分自身の心、体、魂とのつながりを深めていきます。ツアリングには精神的側面と身体的側面があり、彼らはその違いをよりよく理解するためにみずからを追い込みます。
「トレースがあると、心は自由にさまようことができます。複雑な地形にトレースを付けるときは、無数の微調整に対応できるよう、あらゆる地形の微妙な変化に神経を集中させています」と語るのは、写真家であり作家のマシュー・タフツ。「その最中でも、流れやリズムを見つけたとき、つまりまさに地形とダンスをしているとき、大地から互恵的なエネルギーを受けることができます。それは爽快で感覚を鋭く刺激し、地に足をつけ、魂を養うことが一度にできる体験です」
“ルート取りは、つながりを感じるための最良の方法のひとつになり得る。それには、耳を傾け、観察し、理解することを要するからだ”

カナディアン・ロッキーの山奥で1,500メートルの滑降を繰り広げる著者。 Photo: Steve Ogle
すべての絵画を気に入るわけではないように、すべてのシール登高のトレースが万人の好みに合うわけではありません。しかし、問題はそこではないのです。ツアリングは、日常生活でやるべきことに埋もれた自分、真の自分と向き合う時間を与えてくれます。それは、文章をつなぐ言葉のあいだに打たれたスペース、息継ぎをする瞬間のようなものかもしれません。
アリストテレスは「芸術が目指すものは、物事の外見ではなく、内面にある意義を表現することである」と説きました。恋愛の化学反応のように、私たちはトレースとそのトレースがもつ意図に惹かれます。トレースの価値を決めるのは私たちがすべきことではなく、トレースを付けたアーティストとそのアプローチを理解し、評価することです。
結局のところ、どのトレースも同じように山の恩恵を授けてくれます。そしてそれぞれは、唯一無二であると同時に無常でもあります。やがて次の嵐がそれらのトレースをすべて消し去り、次のアーティストが目印を残すための真っ白な雪のキャンバスが残されます。